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米国スミソニアン協会 アジア・太平洋イベントでチベット関連映画を上映

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(2004年5月10日 インターナショナル・キャンペーン・フォア・チベット)

「失われゆくチベットの宝」の一部映像

5月21日午後、国立自然史博物館のバリド講堂でチベット関連ドキュメンタリー映画「失われゆくチベットの宝」が上映される。これは、スミソニアン協会が主催する「アジア・太平洋系アメリカ人の文化遺産」プログラムの月間イベントの一つである。映画は、チベット国境に近いネパール・ムスタン王国の仏教寺院に埋もれていた仏教壁画の報復作業に携わった考古学者と修復者の努力を描いたものである。

毎年5月は「アジア・太平洋系アメリカ人の文化遺産」月間で、アジア・太平洋系アメリカ人コミュニティーや政府主催で教育普及活動などさまざまなイベントが行われる。「アジア・太平洋系アメリカ人の文化遺産」プログラムは、1977年6月に議会決議の立法を通して着手され、90年以降、毎年5月に行われるようになった。1843年5月7日に初の日本人移民が到着したこと、1869年5月10日に完成した大陸横断鉄道に労働者の中で最も多くの中国人移民がレール敷き等の重労働に携わったことから開催が5月に決まった。スミソニアン研究所が開催する「アジア・太平洋系アメリカ人の文化遺産」プログラムは、アメリカ文化の根底にある彼らの祖国のアイデンティティーを高められるよう、97年に開始された。今年のプログラムは、900万人ものアジア・太平洋系アメリカ人を代表する非営利組織の連合体、「アジア・太平洋系アメリカ人の文化遺産継承協議会」との共同主催によるものである。

2003年2月に「失われゆくチベットの宝」を放映したPBSは、この映画についての経緯を物語った。(以下)

「レオナルド・ダ・ビンチの描いた「最後の晩餐」より遠い昔、ヒマラヤ王国の僻地、ムスタン王国の土地で、チベット人職人は見事な芸術的才能で彼らの神々を生み出した。「失われゆくチベットの宝」では、西欧からの修復チームが、古代の最高傑作を収蔵する美しい寺院の修復に立ち向かう姿を映している。

ムスタン王国は現在においても、今はなきいにしえの仏教文化の叙情詩をたたえた土地である。1950年以降、国境を越えた中国の侵略者はチベットで何千もの寺院を破壊してきた。それだけにムスタン王国の寺院や僧院がいかに貴重な芸術作品であるかは言うまでもなかった。しかし、何世紀にも渡って放置され、風雪にさらされ、地震を受けた建造物は、崩壊寸前の状態にあった。とくに寺院の壁画は修復不可能の一歩手前だったのであった。

壁画の修復作業に携わった西洋人は、修復過程で地元ムスタン王国の人々を相手に意見の食い違いに遭遇した。剥がれ落ちてしまった箇所を埋め完成してほしいとの人々の要望に、修復者は呆然とした。しかし西洋人が理解に苦しんだように、ムスタン王国の人々も不完全な姿の神々に祈りを捧げることができなかったのである。

「失われゆくチベットの宝」の一部映像

このドキュメンタリーは、ムスタン王国のロー・モンタンのトプチェン僧院を修復しようと立ち上がったイギリスの自然保護論者ジョン・サンデーを筆頭とした国際チームの困難を追跡した。彼らの最初の仕事は、トゥプチェン・ゴンパの屋根を直すことだったが、何世紀にも渡って蓄積した200トンもの塵が、職人の妙技をあとかたもなく消し去っていた。塵の重さに耐えるため天井に隠れていた何本もの梁は70センチの厚みがあった。この梁の存在に国際チームは悩んだ。ムスタン王国は木の育たない高地だったのである。だが、チームが梁を解体した時、ジグゾ−パズルのように組み合わさった小さな木材が、軽量で耐久性を持っていることを解明したのだった。

いにしえのチベット職人は、壁画を描くために壁の表面を理想的な状態に仕上げた大変な発明家だった(「壁画を描く」パートを参照)。壁には漆喰が6層に渡って施されており、きめの粗かった壁がつやを放つほど光沢のある壁に仕上げたかが見て取れた。これと同じ方法がルネッサンス時代にヨーロッパの壁画にも施されていたが、チベットとヨーロッパ間でこの技法を交換しあったかどうかは確証がない。

しかしツブチェン寺の壁画は、バターランプによる煤煙、動物性の糊、ヤクの尾でできたハタキによる摩擦等で相当なダメージを受けていた。壁画の欠損のひどさに悩んだサンデーは、イタリアからヨーロッパ芸術の修復分野で第一人者のロドルフォ・ルージャンを呼び寄せたのだった。

剥がれ落ちそうな漆喰を安定させるための修復作業を続けた後、ルージャンとアシスタントは壁の汚れを除き始めた。そして徐々に絵が現れ、それは驚くべき光景だった。それは鮮やかな色彩で描かれたブッダの生涯だったのだ)。この壁画の作者は不明だが、ルージャンは次のようにルネッサンス時代の有名なイタリアの芸術家らの名前を次々に挙げた。
「作品の価値としてはレオナルド、ミケランジェロ、ラファエロ以上に間違いないでしょう。それだけに価値の付けようのない傑作に筆を入れるのがためらわれ、正直、壁画を蘇らせることができるかどうか、難しいです」